大井川鉄道6000系あかいし号

2026年現在の大井川鐵道には南海より譲受した6000系電車が籍を置いていますが、かつて大井川にはもう一つの6000系が存在していました。それこそが今回製作した6000系あかいし号です。
実車の解説をするとものすごく長くなってしまうのでここでは省略しますが、電装解除によりトレーラー車となった元北陸鉄道の6000系くたに号と小田急から購入したデハ1906を固定編成で運用していたのがこのあかいし号です。外観はもとより内装も異なる中途半端な3連固定編成は84年のワンマン化の際に障害となり予備車化。平成6年のズームカー導入により完全引退し大代側線で解体され現存していません。
長い解説をじっくり読みたい方は↓に極小文字で配置しておくのでコピペして読んでください(笑)
もとはこの電車、戦後の好景気によって山中温泉へ訪れる湯治客を運ぶため1962年に北陸鉄道加南線用に作られた日車ロマンスカーの一族です。軟弱な路盤や急カーブといった加南線の厳しい路線実態に合わせるべく軽量ボディやカルダン駆動といった最新装備を備えつつ、18m級2両固定編成を組む地方私鉄としては大型の車両でした。地元の名産品である九谷焼から名前をもらい“くたに号”としてデビュー。翌1963年には旧型車の足回りにアルミ車体を乗せた兄弟車6010系”しらさぎ号”もデビューし、以降2編成で国鉄連絡駅である大聖寺駅、あるいは動橋駅から連絡客を乗せ山中温泉へ運びました。ところが、デビューから10年もたたないうちに国鉄優等列車の停車駅変更やモータリゼーションによる利用客離れが深刻となり、とうとう加南線は赤字に転落し廃止。同じく使用されていたほかの車両は北陸鉄道の多路線へ転用されたものの、大型のくたに号、しらさぎ号は転用ができず、当時北陸鉄道と同じ名鉄傘下だった大井川鉄道へ移籍。両編成とも形式をクモハ→モハに変更した程度で番号はそのまま車籍編入され、6000系は大井川上流の赤石岳から名前をもらい“あかいし号”へ改称。架線電圧が異なることからしばらくは両編成とも暫定的にほかの電車の増結用トレーラー車として奥大井への観光客を運びました。
しかしその後、6000系は大井川本線の直流1500Vへの昇圧は多額の費用が掛かることが判明。足回りが旧型車の流用品だった6010系は昇圧改造を済ませ単独走行ができるようになったが、電装品が600V専用設計だった6000系はやむなく昇圧改造を断念。1974年にはモハ6001は電装品を降ろしトレーラー化のうえクハ6052へ改番し、自走できなくなった2連に別途牽引車を連結した3連固定編成を組み再デビューします。当初は富士身延鉄道の買収国電を出自とするモハ305が牽引の任に着くも老朽化により一足先に引退。新たに小田急から購入したデハ1906を2代目牽引車モハ1906としてとして迎え入れ引退までこの3連でユニットを組みました。 日車ロマンスカーの車内設備を生かし、しらさぎ号共々電車急行や快速列車をメインに活躍。転換クロスシートの豪華なクハに対しロングシートのモハは基本的に締め切り扱いとされ、繁忙期のみ客扱いをしていたようです。その後SL急行の増発と沿線の過疎化による使用客の減少も相まって1984年にはワンマン運転がスタート。3連ながら一部非貫通の本車はワンマン運転が事実行不可能であったため同年には予備車化。繁忙期のみほかの電車と連結して5両編成で活躍したものの、94年のズームカー入線により程なくして大代側線へ留置。96年に完全引退を迎え、同じく引退済みだったSSEとともに全車解体処分されました。

本車の製作に当たっては先に6010系を製作したパシフィック氏が6010系の側面データを改変したものを用意してくれたので、この側面のカッティング済みプラ板をありがたく使用。前後で形態が違うどっちの先頭車も頭にして走らせたかったので両端を動力車としました。

クハ6051
千頭側先頭車。戸袋窓がHゴム化された92年頃の姿を再現しています。

クハ6052
モハ6001を電装解除しクハの続番へ編入した車両。実車のパンタグラフ周りは年代を追うごとに少しずづ部品が外されてゆき、パンタグラフアーム部、ランボード、ヒューズボックスの順に撤去され晩年は取り付け部のボルトだけが残っていたようです。形態的にはやや怪しいところですが、鉄コレを参考に配管等を配置しました。

モハ1906
小田急から1両のみ購入したデハ1906を牽引車仕様に変更した車両。編入し際して形式をデハからモハに変更。6000系に合わせた北陸鉄道カラー編へ塗り替えられテールライト取付位置、全面窓のHゴム化など外観にも変化があります。

各車妻面。6000系の妻面は全周幌のような格好になっているので一段へこませたように。モハは幌枠をプラ板で生成した後別途製作した塞ぎ板をはめ込む実車同様の作りです。

側面の造成中シーン
カッティングマシンで切り抜かれた0.5mmプラ板3枚重ね構成です。

種車の側面を切り落とし新造した側面を接合。さらに屋根上の余計な突起類もすべて削り落とした姿。6051の側面は組み上げてからの放置期間が長く、保管中にかなり歪んでしまったため接合に際し曲げ矯正と膨らんでしまったカ所を削って平滑にしています。

側面が一段落着いたところで顔の造成に移ります。
窓が一段窪んだ複雑な形状をしているようにも思われますが、実は湘南顔の派生形。位置決め用の骨組みの上から1mmプラ板4枚を組み合わせ、まずは湘南顔の骨格を作ります。のっぺらぼうだとイメージが湧かないので鉛筆で下書きをしてます。

少し飛んで窓の造成。鋸で窓部分を切り飛ばし別の1mmプラ板でガラスパーツを生成。パノラミックウィンドウの6010系に対し、6000系は平面ガラス4枚構成。端の部分は現物合わせで削りだした後に細切りにしたプラ板でピラーとHゴムの縁取りを付けました。

6052側も同様に加工。同時におでこの角度も調整し雨どいも短縮してより完成系に近付けていきます。

全体的なシルエットが出来上がったらいよいよ味付け工程へ。
ご丁寧にピラーやサッシの接着位置にはガイドのスジボリが引かれているのでこれに合わせて細切りのプラ板を張っていきます。

前面も細かいパーツを加えていきます。
ヘッドライトは毎度おなじみコトブキヤのモールド。ネームプレートは車体と一緒に用意されていたものを慎重に位置決めして接着。そのほかワイパーカバー、テールライト、アンチクライマーもプラ板から生成していきます。

追加したパーツを整えて整形は完了。戸袋窓は後年の更新で一部がHゴム化されてるのでここもプラ板でモールドを加えます。

側面と全面が仕上がったのでいよいよ屋根へ。ベンチレーター、パンタグラフ周りの配管もプラ板、プラ棒を駆使して情報量を増やしていきます。
ベンチレーターはリューターで角を落としたものを量産。接着後に大きさを揃えました。
6052のアンチクライマーは連結器の切り欠きがあるため省略しています。

続いてモハ1906。箱根登山モハ1の後尾車側をニコイチします。

2両分の側面を組み合わせて2ドアから3ドアに変更。

そのままでは長さが余ってしまうので各ドアを真ん中で切断して1mmプラ板をかませてドア幅を拡張。顔周りも全面的に作り直しシルヘッダーや手すりを追加していきます。
側面移植に追わせて雨樋もすべて作り直しています。

顔周りのアップ。ヘッドライトもプラ板蓄層からの削り出しです。

捨てサフからの傷確認。

この時点ですでに運転会の設営を終えた日の夜。公開初日に間に合わないことは確定ながら2日目に間に合わせるべく急ピッチで仕上げ作業を行います。

塗料はタンコロ2形と同じ北陸鉄道カラーなのでレドームと自家調合のオレンジ。車番はHOゲージ用の金属インレタを使用。

パシフィック氏製作の6010系しらさぎ号とのツーショット。